設計の「why」を言語化できる人は強いんですよ
— magnoliak🍧 (@magnolia_k_) 2022年10月29日
っていうか、驚くくらい「why」が上手く表現できないんですよ、普通は
— magnoliak🍧 (@magnolia_k_) 2022年10月29日
手順は言えても、なぜ?が言えない
設計において、すべての決定について仔細に「なぜ、そうしたか?」を言えるべきなのだけど、これを上手く言語化できない人は多い。「このプロジェクトでは以前からそうしているから」「そうするのが当たり前だと思っていた」などなど、本当に理解してないまま「設計という作業」を進めている人もいれば、上手く自分の行為を言語化できないだけの人もいる。
また、必ずしも自分が設計したことについて説明する場面ばかりとも限らない。既に存在する設計から「なぜ」を類推するしかない場面もある。他人のコードを読み取るときに、振る舞いだけでなく、「なぜそうしたのか?」が分からないと、その後にどんな改修を加えれば適切になるのかは分からないからだ。「振る舞い」と「根拠」を同時に読み取る必要性が出てくる場面が多々ある。
だからこそ、設計の「why」を言語化するために、そもそも「なぜ?」が言えること、それを表現するテクニックを持っている人は設計における強い人と認識される。
「設計レビュー」、設計された結果を見るものではなく、「どんな要求が有って、どんな検討プロセスを経て、どんなメリット・デメリットを考慮したか?」を聞くものなんですよ
— magnoliak🍧 (@magnolia_k_) 2022年10月29日
「設計を取り巻く環境・構造」を正しく認識できていることにレビュアーと、レビュイーが合意できれば、そこでレビューはほぼ終わったも同然な訳です。
でもこれは、「才能」ではなく「教育と経験」によって培われるものなので、できない人は、その機会をまだ十分に得られていないだけ、と捉えるべきなんですよ https://t.co/4Ne2TYaRp6
— magnoliak🍧 (@magnolia_k_) 2022年10月29日
で、それがコミュニケーション力と言えるのかもしれないけど、これは完全に「教育と経験」で一定の底上げができるものなので、意識的にやっていくとよいのです。
「道具を見つめてもどのように使えば善いか悪いかは道具自体が教えてくれない」という本質的な話があります。なぜその手段が必要かどのように使うと善いかなどの目的や価値については方法から逆算すればするほどわからなくなるんです。行き着く先は宗教・哲学・文学。それが語れる人は強い。 https://t.co/cdoIU0ddL6
— 加藤潤一(かとじゅん) (@j5ik2o) 2022年10月29日
そして引用RTでいただいたご意見がまた興味深いので、貼っておきます。みなさま、ありがとうございます。
アインシュタイン曰く
— 加藤潤一(かとじゅん) (@j5ik2o) 2022年10月29日
> これこれであるという知識は、これこれであるべきだ、ということへ直接通じる扉を開いてはくれないのです。
> こうこうであるということの知識を、いくら明瞭に完全にもつことができても、人間の願望の目標であるべきかを、それから演繹することはできないのです。
— 加藤潤一(かとじゅん) (@j5ik2o) 2022年10月29日
> 客観的な知識は、ある種の目的を達成するための、強力な道具を提供してはくれますが、究極的な目標そのもの、およびそれに到達しようとする憧れは、他の源泉から生まれねばなりません。
— 加藤潤一(かとじゅん) (@j5ik2o) 2022年10月29日
コストを筆頭に、設計は様々な要素とのトレードオフなので、なぜその選択が妥当だと判断したのかを多角的に言語化する能力が求められる。 https://t.co/ML84pWpo0j
— ミノ駆動 (@MinoDriven) 2022年10月29日
設計ってあらゆる決定事項に意思がないと弾かれるイメージ
— yas (@yas98303392) 2022年10月29日
なんでこの数字にしたの?
なんでこのパッケージ使ってるの?
といった内容に応えられないと、、、 https://t.co/bdCMN2gYyx
whyが言語化されてない設計ってヤバそうだなぁ、、
— Yukio🦀 (@AYukiEngineer) 2022年10月29日
ノリでDDD, 一応MVC的な https://t.co/fpyTWYnXl3
「What」をしているのかを聞いたときに、「How」ではなく「What」を的確に説明できる人も類する気がする。 https://t.co/r0KGW6J8uC
— みり🎗🕊ITストラテジー🕊🦴 (@MiryGoAround) 2022年10月29日
「なぜそう思うの?」とラダーダウンしていって、それ以上答えられなくなった最後のところにそのひとの価値観がある。
— ゆめみん || yumemi (@yumemean) 2022年10月28日