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『学びの構造』を読んで、自分の学び方や、他人の学び方を見直そう

TwitterのTLで見かけた、佐伯 胖さんの書かれた『学びの構造』という本が気になって読んでみた。

昭和50年に発行されて、今年になっても増刷されている歴史ある1冊。


元々、学校教育の現場の人向けに書かれている本みたいだけど、「学ぶことを指導する立場」の人であれば必ず刺さる内容ばかりだった。

特に第二章の”「おぼえる」ことと「わかる」こと”で語られている、「わかる」の定義は必読。

「わかる」とは「わからないところがわかる」ことだと定義し、そこから「わからない部分」に行き当たると「疑問がわき」、それが全体を統合する働きをする、という流れは非常に納得感が有った。

そう、確かに分かっていないと疑問にも思わないし、質問も出てこない。そして「分かった気になって」、やろうとしても実は理解していないから「手順通りのこと」はできても、その先ができない。

自分が、「この分野をある程度は理解した」と言える知識領域があると言えるときって、矛盾や空白が有ればそれを指摘できる状態だし、他人があることに学んだ状態を確認するときに、「もう少し背景や、関連する知識も押さえておいてほしいな」と思うことがあるのは、「それだけだと今はいいけど、ちょっと応用が発生するとできないな」と感じるからだし。

この「わかる」こととは何か?という定義を理解するだけで読む価値が有るし、続く章も、学びにまつわる、興味深い考察が続く。

第三章「道徳はいかに学ばれるか」 第四章「機械で学ぶことはできるか」 第五章「学び続ける存在としての人間」


あと、第一章「学ぶ人、学ばぬ人」の冒頭に出てくる「学べない人間」の3タイプが、「無気力型」「ガリ勉型」「ハウ・ツゥ型」の3種類挙げられているのが、初手でがツンとくる構成になっているのも良かった。最初の一つ目は当然として、なぜ後者二つも「学べない人間」に分類されているかは、本書を読んでみてください。

わかるーって思わず言ってしまうと思います。


追記

この本では、「学ぶこと」の先の振る舞いや、思考に対して一定の期待値、こうあってほしいという思想が有る。

一方で、みんながその思想の通りになるべきなんだろうか、というのも有って、例えば上記のツイートのように、「志高く、事業にコミットするための学びを発揮してほしい」という期待値が経営サイドに有る時に、果たしてどこまで、そのような振る舞いをすべきなのか、というところは、「他人がとやかく言うこと」でも無いし、強制できるものでもないじゃないか、とも言えるかもしれない。

結局、「人による」となってしまうと、要はバランス、みたいになってしまうんだけど、難しいよね(誰視点?)