2021/8/15: 最初の言説のところ、微妙に何が何だかって記述だったので少し見直しました。
昔初めてPMBOKで「段階的詳細化」って用語を知った時、随分と当たり前のことにわざわざ名前がついてるんだなぁと思ったことが有るけど、案外ちゃんと名前をつけてあげないと最初から細部まで完璧な計画が(実際に有るかは別として)存在せねばならぬ、みたいな発想が(無自覚に)有る人に有効なんだなって
— magnoliak🍧 (@magnolia_k_) 2021年8月14日
PMBOK、計画を立てろ!って書いてるけど、その計画の精度については言って無くて、変えるべき時にちゃんと検証と承認しようねってしか言ってないんだよね
— magnoliak🍧 (@magnolia_k_) 2021年8月14日
初手で完璧で詳細な計画を立てろなんて言ってない
「システム開発は最後まで分からない、常に変更が続くのだ!だから詳細な事前の計画は無意味、やってみないと分からない!」という言説があり、まぁそうだなーと思う反面、個人的な活動ならばそれでいいけど、それなりのステークホルダーが存在する事業の場合は、「見通し」が無いと投資できませんって話にもなる。
結局計画である以上は常に未来の不確定さに、一定のリスクがあるわけで、「完全完璧な計画を求める人」も、「やってみないと分からないと言う人」も、どっちもその不確実さが自分に降りかかることを忌避して、リスクコントロールをしない人にも見える。
アジャイルは無計画ではなく、「計画をするタイミング、詳細度」をコントロールする方法論だと理解していて、「Perlがスコープをコントロールする言語」なのと同じくらい直感的でなく、一回やってみないと分からないけど、非常に実務的な発想だな、とも思う。
少し話は変わって、「その日やることをその日計画する」のと、「その日やることを前日までに計画する」では同じ計画でも意味合いが違ってくると思っていて、「その日やることをその日計画する」というのは得手して「やれることをやる」に陥りがちになる。一方で「その日やることを前日までに計画する」は、「やるべきことをやる」がやり易いやり方だと理解している。
それは計画に対する解像度の違いで、「やれることをやる」の場合、ゴールに向かうために、抜き差しする要素が限定されてしまうのに対して、「やるべきことやる」の場合、要素の抜き差しができるからだ。つまり、「余計なことはやらない」。
「余計なことはやらない」と言っても、単純に「止めちゃえばよかった」なんてことはあんまり無くて、「止めるなりの準備や、調整」が有って初めてやめられる。「止めるために新たにやらないといけないこと」が出てくるわけで。
計画の粒度、どこまでできていれば納得するかは、極めて個人の経験や資質、組織文化に由来することなので、絶対的な正解が有るわけではないけど、「計画の解像度を上げていく」という行為に意識的になっていくといいんじゃないかと思った全然まとまりの無い話。
追加
でも「計画を変える計画」が予めプロセスに組み込まれていないと、そうはならないわけで、「絶対に計画を見直す」というフェーズをちゃんと定義した、という意味でアジャイルは偉い
— magnoliak🍧 (@magnolia_k_) 2021年8月14日
「計画を変えること」に対する心理的な抵抗感はどこから来るかと言えば「説明するのが面倒」な訳で、「言ってくれれば承認するよ」は、論点が違うじゃないか、というね
— magnoliak🍧 (@magnolia_k_) 2021年8月14日
自分で初めて計画らしい計画を作ったとき、「とっかかり」がなさすぎて、まったく手が動かなかったけど、そんなにみんなが根拠を持って計画を書いている訳ではないんだなって分かってすっきりした
— magnoliak🍧 (@magnolia_k_) 2021年8月14日
書いてみて初めて対象に対する理解の解像度が上がるんだから、まず書こうっていう
だって未来の話だしね